*03. 賭け


 これはわたしの一種の賭けだった。
 いつも「もしも」の存在にわたしは頼ってきた。もしも弟と離れずにいられたら。もしも母と一緒にいられたら。もしも両親が離婚しなかったら。もしもそうだったら、わたしの人生は少しは変わっていたのだろうか。
「ここです」
 亮太を知っていると言う爽やか男子高校生の案内の元、わたしはバスを降りてきてから5分くらい歩いた先にある4階建てアパートに辿り着き、彼は203号室の前で立ち止まった。部屋の号数である203と小野寺と書かれたネームプレート。確かに小野寺は母の旧姓であり、母と一緒に住んでいる亮太の苗字にも違いない。
 大きく息を吸って心を落ち着かせた後呼び鈴を鳴らそうとしたら「ちょっと待って」と爽やかくんはわたしを制止させた。なんだろうと思っていると、彼は制服のポケットから鍵を取り出してなんの躊躇いもなく鍵を開けた。
「どうぞ入って」
 え? え? 不法侵入? なんで鍵を持っているの?
 わたしの頭の中で無数のクエスチョンマークがぐるぐると回る。訊きたいことはたくさんあるのに、疑問の数々を処理する間もなく、「きれいじゃないですけどどうぞ」と彼に促されわたしは恐る恐る部屋に入った。  廊下には大小のドアがいくつかあって廊下を抜けるとキッチンとダイニングという、どこにでもあるような集合住宅のつくりだった。
「ゆっくり寛いで。ソファーにでも座ってください」
 そう言って彼はわたしを残して、廊下に戻って行った。通されたリビングはわたしの家よりもちょっと狭いけど、アイボリーのソファーとガラステーブルのせいか狭さを感じさせない開放的な空間だった。なにより実家と違って無駄なものが一切なくすっきりしている。
「きれいな部屋」
 ごちゃごちゃと物がないだけでなく、掃除も隅々まで行き渡っている。母が掃除をしているのだろうか。わたしの記憶では母は片付けものが決して得意ではなく雑誌なんていつも積み重ねていた。わたしと亮太が遊んで雑誌の塔を崩す度に怒られた記憶は鮮明に残っている。だとしたら亮太が片付けているのだろうか。昔の母や亮太からはそんな姿は想像も付かない。月日は人を変えるものなのだろうか。
「なにか飲みませか?」
 爽やかくんが戻ってきた。制服を着替えてはないものの、学ランの代わりに着ている明るいカーキ色のパーカーでさっきと印象が少し違う。
「結構です」
 思わず声が裏返ってしまう。自分で思っている以上に緊張しているのだろうか。だって、この人誰なんだろう。お母さんと亮太はどこにいるのだろうか。
 急に不安になってきた。よく考えればこんなに虫の良い話があって良いのだろうか。偶然会った男の子が亮太のことを知っていて、そして亮太が住んでいる場所まで連れてきてくれるなんて。もしかしてわたし騙されてる? 今から怖いおじさんが来てどこか遠くに売り飛ばされたりして。だけど、確かに入口には小野寺と表記してあった。
 キッチンでなにやら作業している彼の目を盗みながら、とりあえずざっと見渡しなにか武器になるものを探す。野球バッドとか女でもなにかあった時ある程度相手にダメージを与えれるようなもの。そう思いながら探していると、ガラスの天板から透けてテーブルの中に入れてあるハサミが目に付いた。あまり刃物には手を付けたくないけど、最悪の場合にとコートのポケットに忍ばせる。
「テレビとか自由に見てくださいね」
 どこからか彼が目の前に現れ、テレビのスイッチを入れた。わたしは彼の顔をまともに見ることができず、ただテーブルのハサミがあった場所を見つめながら「はい」と返事をした。
「コート脱がなくて大丈夫ですか?」
 もし良かったら、と彼がわたしのコートに手を伸ばそうとしたので思わず「大丈夫です」と声を荒げてしまった。彼はもちろん、わたしも自分で驚いてしまった。彼は静かに「すみません」とだけ言い、またキッチンに戻った。
 びっくりした。コートを取り上げられたらもう自分を守る武器がなくなってしまう。それどころか、万が一ハサミを忍ばせたと気付かれたらどんな仕打ちが待っているのか想像もできない。今になって携帯電話を自宅に置いてきたことを後悔する。
「これどうぞ」
 再びわたしの目の前に現れた彼は、ガラステーブルの上にティーカップを置いた。
「ハーブは大丈夫ですか?」
 さっき突然大声を出してしまったことが恥ずかしく、わたしは小さな声で「大丈夫です」と答えた。すると彼は「良かった」と微笑み、「冷めないうちにどうぞ」とお茶を飲むよう促した。
「美味しい」
 恐る恐る口に含むが、ハーブの良い匂いが口中に広がり自然と体が緩んだ。体が冷えていたのか、温かい液体はすうっとわたしの喉を通り体がじーんと温まる。
「それは良かったです。ハーブはリラックス効果もあるんですよ」
 緊張していたのがばれていたのだろうか。雰囲気ほわほわしているけど、意外と観察力に優れた人なのかもしれない。でも悪い人ではない、のかもしれない。彼の言う通りハーブ効果なのか、いつの間にか緊張は解れ、とても良い気持ちになりながら最後の一滴を飲み干した。
「あっ」
 どうしよう。
「どうかしました?」
 わたしが突然声を上げてしまった為、彼が心配してくれた。わたしはただ大丈夫だと答え、「ごちそうさまでした」と爽やかくんにお礼を言った。
 どうしよう。全部飲んでしまった。まさかとは思うけど、睡眠薬なんて入ってなかったよね。もしそうだとしても、今更気付いたってもう遅い。
 勝つか負けるか。死ぬか生きるか。会えるか別れるか。もしもに懸けていたわたしだけど、いつの間にか色んなものに手を出していた。思っていたよりもわたしはギャンブラーなのかもしれない。




02.   *   lovin' you   *   04.   






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